2013年11月12日

『一生中2じゃダメかしら?』

一生中2じゃダメかしら?: 西炯子エッセイ集 (フラワーコミックスアルファルルルノベルス)
一生中2じゃダメかしら?: 西炯子エッセイ集 (フラワーコミックスアルファルルルノベルス)
『一生中2じゃダメかしら?』西炯子/著。小学館。

「送り手側には覚悟が求められた。だが今となってはそんなもん無くたって誰でも送り手になれる。しかも匿名で。自分の発した言葉に責任も覚悟も持たぬ者が、呼吸するがごとく世に向けて言葉を放つ」


 漫画家・西炯子のエッセイ集。
 ホンモノ(ホンモノってなんだ)の漫画家は実は文章がうまい。なぜなら、絵と選び抜いた数少ない言葉だけで物事を人に伝えるから。というのが実はわたしの持論です。
 文章書きなんか、あ〜だこ〜だ説明つければ何とかなっちゃうのを絵と少ない文字数で伝えるというのは素晴らしい技術で能力だと思うのです。
 で、やはりこの人も抑圧されて育ち、それでも世の中に対して自分の立ち位置をしっかり持つことで、生きにくいながらも何とか生きていっているわけで。そういう人の書く文章はコダワリがあるし、立ち位置が近い分、わたしと似たことを考えていて、そこで文章できちんと腑に落ちるように書かれちゃうと快哉を叫びたくなると同時に、すごく嫉妬します。

「世の中というのは大変に複雑だし得体の知れないものだ。それをあるがままに受け止めるのは難しい。事象を、自分の見知った了見に落とし込んでいくことは、正気で生きる術であろう。」

「自分の言い分が、様々な方向から検証して理のある事であるか、公共の益に適うかなど考えることは、理性と知性と胆力の要ることだ。ひょっとしたら孤立するかもしれないし。んで、そもそも馬鹿ははなっからこんなこと考えないし、自分の言い分を主張することが正義であるくらいに思っているから、でかい声で無理をわめく。しかし馬鹿は馬鹿であるが故に通した言い分に責任を取らない。而して後には「なんでこんなことになってんだろ」という、やるせない状況が横たわる結果を生む。」


 ……。もう、何度も頷いて、涙まで流しました。
 で、そこで疲労はするけれど、「間違っていると思う」と声をあげて、少しでも状況を変えようと努力している今。孤立してますよ。
 黙っていたら通り過ぎて行くし、そのほうがwiseだと思う。でも、そこで声をあげないと何も始まらないから、声をあげていますよ。アナタはそれでいいかもしれないけれど、ワタシはそれをやられて大変困っているし、今後の未来の人も困るんだ。それはやり方を変えて行こうよって言ってます。言うだけの仕事はしています。
 わたしはcleverだけれどwiseにはなれないんだな、と思う。で、それで疲労して倒れていちゃ意味がないんだが、そこはわたしが強くならねばならぬところで。
 うん。流されずに、自分の足で立って生きていくのは強さが要ります。その強さを見つける、強くなる努力を今も昔もわたしはずっとしているんだと思う。
 で、こういうところで同志を見つけて喜んでみたりする。

 アナタの言うことは否定しないよ。でも自分と違う意見があることは認めようよ。それが民主主義ってもんだ。
 あ、しまった。わたしの相手はナチス・ドイツだった←。
posted by 桔梗 at 12:46| Comment(0) | その他:エッセイ | 更新情報をチェックする

2012年08月05日

『生きても 生きても』

西炯子エッセイ集 生きても生きても (フラワーコミックス)
西炯子エッセイ集 生きても生きても (フラワーコミックス)

『生きても 生きても』西炯子/著。小学館。

「私が私であるために、そばに誰かがいる必要は無い。誰がいてもいなくても私は私だ。」


 漫画家・西炯子のあっちこっちに書いた20年分の雑文というかエッセイをまとめたもの。

 エッセイというより、彼女の考えたことやらなにやらがとてもストレートに書いてあるので、なんというか、一部のわたしみたいな人にとっては痛いくらいの読後感を味わった。
 小説ではなく、エッセイってある意味真剣勝負だと思うので、エッセイの感想文ってこっちも赤裸々に語らねばならないような、そんな真剣勝負をしなくてはならないようで、本当につらい。

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posted by 桔梗 at 01:57| Comment(0) | その他:エッセイ | 更新情報をチェックする

2012年04月24日

『シズコさん』

シズコさん
シズコさん


『シズコさん』佐野洋子/著。新潮社。

「その日が私にとって一生に一度の大事件だったと思えた。
わたしは何かにゆるされたと思った。世界が違う様相におだやかになった。
私はゆるされた、何か人知を越えた大きな力によってゆるされた。」


 この本が出たとき、この世の人は衝撃を受けたらしい。この世の人というのは、つまり母親の愛情、母性、親子のつながりというものを信じて疑ったこともない人々は。
 初版は2008年ですが、その後、いわゆる「母親が嫌いな人」の本は広く出版され、だいぶ認知されるようになってきたようですが、今でも母娘関係に悩む人に、世間は冷たい。

 社会学・女性学とかやっていると「近代家父長制」のもとでの生き苦しさというのはごく当たり前に存在します。
 それが母親が相手だとなぜ子どもの方が糾弾されるのか、謎だなあ。そして息子は当然のごとく反発して許され、娘は反発すら許されない。自分の人生すら生きられない。
 親を愛せない、子どもを愛せない苦しみって普通にあると思います。そこを世間体や狭い社会的つながり、核家族化がよけいに押し進めてしまったのね。そして隠してなかったことにしているのでしょう。

「神様、わたしはゆるされたのですか。
神様にゆるされるより、自分にゆるされる方がずっと難しい事だった。」


 佐野洋子自身が母親が重くて仕方なかったように、彼女の息子にとっても「佐野洋子」はとても重い存在であったであろうと思います。多分、悲しいことに。

 誰もが誰かを恨まずとも、自分の人生を生きられたらいいね。
 そして、わたしも自分自身の中の母親が重くてたまらない、「自分の人生」を生きようと、「自分の人生」は何かともがく人間の一人です。
posted by 桔梗 at 11:28| Comment(0) | その他:エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年03月08日

『ふつうがえらい』

ふつうがえらい (新潮文庫)
ふつうがえらい (新潮文庫)

『ふつうがえらい』佐野洋子/著。新潮文庫。

「 私は家族について講釈をたれる資格はない。私は崩壊家族を製造してしまったからである。現実に問題が二つ三つ出て来た時、片方は逃げまくり片方はノイローゼのようにそれにしがみついたのである。子供は両親のみにくい言葉を耳を両手でおおいながらもその場をはなれず、一片も聞きもらすまいと階段にうずくまっていた。私はあの息子の心の中を思う時、いかに思いの全てをかけても思いおよぶことが不可能だと思うのは、私は、家族を崩壊させたのではなくあの子供の心を壊したのだと思うからである。」


 個人的佐野洋子追悼特集第二弾。
 またしても元気の出る爆笑エッセイ。
 この次に『シズコさん』を書こうと思っていたのですが、誰かに貸したまま返ってきていないことが判明したので、『シズコさん』はまたいつか。

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posted by 桔梗 at 17:29| Comment(0) | その他:エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年03月06日

『がんばりません』

がんばりません (新潮文庫)
がんばりません (新潮文庫)

『がんばりません』佐野洋子/著。新潮文庫。

「 もはや私はシンデレラには共感はせぬ。かつて貧しかった者にだけ共感するのである。
 しかもその中で、健気に清く正しく明日を信じてじめじめと涙を流して戦う人はうっとうしいのである。貧しさの中で、こすからく陽気に嫉妬心とひがみをかくしていけしゃあしゃあと生きる人に共感する。」


 佐野洋子氏の絵本は家にたくさんありましたが、エッセイを読んだのは高校に入ってからで、母の本棚から抜き出してきたのでした(そして家を離れた今は自分で買って所有しています)。
 爆笑し、文章の巧さに舌を巻き、そして、母親ってこんなこと考えながら育児してるんだと、自分の母親に照らしあわせて思ったことを覚えています。

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posted by 桔梗 at 01:40| Comment(0) | その他:エッセイ | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

『うわの空 ドイツその日暮らし』

うわの空―ドイツその日暮らし (朝日文芸文庫)
うわの空―ドイツその日暮らし (朝日文芸文庫)
『うわの空 ドイツその日暮らし』上野千鶴子/著。朝日新聞社。

「わたしたちは絶望しているけれども、活動を諦めない人たちなのよ」


 社会学者の筆者が1991年、ドイツで実際に一年間教鞭をとりながら生活をしたレポート。
 硬質でミクロン単位に正確で、それでも人肌の温度がする、職人芸のような日本語。自分が思ったこと感じたことを正確に書き記すその日本語能力に脱帽。
 この人の文章を読むと社会学って本当に楽しいと思います。どうも自分が単眼で近視的になっていると感じるときに読むと、大きな時間の流れの中にいるということ、そして物事を別の角度から見る大事さを思い出させてくれます。


 もう20年以上前のレポートになるのですが、今回七年ぶりくらいに再読して、変わらず色あせない感性と優しさがとてもうれしかったです。
 学生時代は周囲に常に留学生がいて、外から見た日本人である自分を意識していましたが、今、外国人の多い地域に住んでいるにも関わらず、日本に暮らす外国人としての彼らにしか興味がないなあと反省。
 前回は線を引きながら、今回は付箋を貼りながら読んだのですが、七年前のわたし、けっこういいところに線を引いてるじゃん、とまたそこに付箋を貼れる自分もうれしい。
 そして、20年たっても相も変わらずな人類と女性をとりまく環境。ホントに涙が出ますね。

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posted by 桔梗 at 14:54| Comment(0) | その他:エッセイ | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

『ミッドナイト・コール』

ミッドナイトコール (朝日文芸文庫)
ミッドナイトコール (朝日文芸文庫)

『ミッドナイト・コール』上野千鶴子/著。朝日新聞社。

 女性学の先駆者、社会学者・上野千鶴子のエッセイ。
 朝日新聞に1989年に八ヶ月に渡り連載されたもの。

「──あなたがいなければ今のわたしはいなかった」


 実はこの人の講演を拝聴しにいったことがあります。
「講演会のパンフレットに民族衣装調の服を使って頂いたので、そのイメージを壊さないように同じ服を着てきました」
とおしゃって、演壇で袖を広げて衣装を見せたあと、ふふっと笑いました。ツカミとしての計算、自分がどう見られているか、どう自分が思われているかを計算して、サービス精神があって、自分のプロデュースも自分で行う方だと思いました。こんな風に講演を始める方を初めて拝見して、少し面食らったのを覚えています。
 この本が書かれたよりもずっとあとに講演を聴いて、その後にこの本を購入したのですが。
 改めて読みなおして、本当に文章が上手いです。そして中身が、感情が押しつけられるのではなく、差し出されるように伝わってきます。

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posted by 桔梗 at 22:32| Comment(0) | その他:エッセイ | 更新情報をチェックする